百合川
ひとが群居し生ずるコウイ。
ひとは互いに解りあえない事を解りあう物で、その間には性行為があり、繁殖の為なら理に適いますが自己価値の確認、承認欲求からくる物は非道徳と考えます。
性具はヒトが生物として社会を築いたなら存在しない物です。
でも、その不毛な感情が愛しい。
傷つくかもしれない、だけど他人で心をうめないと生きられない、ロジックでは解りあえないかも知れない、だけどいつか少し幸せになりたい、と言う祈りに似た小さな希望が描きたいです。
もし希望がなくてもやさしくしたいし、触れてみたい。道徳的でなくても、それが好意です。
 
 



鈴木真吾
お題:自分が向き合いたい/表現したい背徳

自身の作品は、主として女性を主要被写体にしたポートレート作品のため、2014年11月の背徳『22人展』では、女性のポートレートにおける美德としてみなされ、世間で語られている諸要素の徹底的な否定を通じて、背徳というテーマを考えてきました。

16年5月に主催として名を連ねた「異端肖像写真展」においても、対をなす「正統」を見据えて、「異端(性)」を位置づけてきました。

猟奇、退廃、耽美、陰鬱等々、自分が好む諸要素の多くは、一般的とされる覇権的な価値観、美的感覚からすれば、「背徳(アンモラル)」であり「異端」的なものですが、逆張りのためのポーズや意匠ではなく、己の好む要素を突き詰めた結果、自然とそのような位置に立ってしまいました。

他の作家さんの作品を含め、飾られた作品と5対峙を通じて、みなさんの無意識に植え付けられた「美德」を炙りだして頂ければ幸いです。

 

 

あっきぃ 
なぜ背徳に魅力を感じるのか。
一般的に「良い事をする」とは「他人の為に良い事をする」行為であり「悪い事をする」とは「他人の為に悪い事をする」行為とされています。
人は心のバランスを取るために、この2つの面を両立して行かないといけない。普段「良い面」を中心にしている人ほど、裏の「悪い面」に対して欲求が強いのではないだろうか。それが他人に対して、又は自分に対して「悪い行為」をする事自体が心のバランスを保つ必要な行為であると考えています。私は普段する事がない首輪に魅力を感じ、毎日作り続けています。
 
 



サトウ・スイミンスキー
禁止して衝動を得ている、人の面倒でナンセンスなところです。お医者さんと自分に嘘をついて飲む炭酸が、最高においしいですね。

 

 

背徳症候群展限定の
ペアアクセサリーと同型の作品を使った撮影を終えました。
「二番目に好きな人」
写真の展示と共に、
1冊のアルバムの中に
下衆であざとい不倫物語を展開します。
是非開いてご覧ください。


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